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【海外の反応】イギリス軍の歴史上最大の敗北は、1942年に大日本帝国にシンガポールを陥落されたことらしい

歴史・文化

シンガポールの戦い(シンガポールのたたかい、英: Battle of Singapore)は、第二次世界大戦/大東亜戦争(太平洋戦争)初期の1942年2月8日から2月15日にかけて、イギリスの海峡植民地のシンガポールで大日本帝国陸軍と連合国軍の間で行われた戦闘である。

2倍を超える兵力差を覆して、当時難攻不落と謳われたシンガポール要塞を日本軍が10日足らずで攻略した結果、イギリスが率いる軍としては歴史上最大規模の将兵が降参した。当時のイギリス首相であったウィンストン・チャーチルは自書で「英国軍の歴史上最悪の惨事であり、最大の降伏」と評している。

シンガポールの戦い – Wikipedia

海外の反応

1. 海外の反応
さらに驚きなのは、シンガポールの英国軍がもっと長く持ちこたえられた可能性が十分あったってことだな。彼らが降伏した時、山下(奉文)はもう防衛側に投入できる兵力を使い果たしてた。文字通りすっからかん状態。それなのに降伏してこないからマジでキレ散らかしててさ、交渉相手の英国人将校たちはその怒りを「余裕の表れ」と勘違いして降伏を勧告しちゃったんだよ。実際は「残弾数ゼロ」のすっからかんなのに、まだ大量の予備兵力が控えてると思い込んじゃったわけだ。
山下にはもう増援も来ないし、補給線もなかった。シンガポールの防衛部隊がどれだけボロボロだったとはいえ、泥仕合に持ち込んで、せめてあと1週間かそれ以上は日本軍の作戦を足止めすることくらいはできたはず。そうなってればアーサー・パーシバルの歴史的評価も全く違うものになってたらろうな。彼の防衛策や事前準備がド下手くそだったのは言うまでもないが、もう少しだけでも粘ってりゃ、山下側の方がもっと悲惨なことになってたはずだ。
→2. 海外の反応
確かシンガポールの給水ルートって日本軍に遮断されてたよな?あと、イギリスの対日戦略って「いざとなったら海軍を送り込む」っていう前提だったのに、ナチスのせいでそっちに回す余裕が一切なくなってたのもある。
→3. 海外の反応
勝つのは絶対に無理だったろうけど、シンガポールが直面してた障害ってフィリピンとそこまで大きく違わなかったはず。フィリピンの部隊は半年も日本軍を泥沼に引きずり込んだのに、シンガポールはたった1週間しか持たなかったからな。結局、シンガポールの司令部が山下の実力を過大評価しすぎたのがすべて。山下が意図的に仕掛けたハメ技ってわけじゃなく、極限状態すぎてイギリス側が勝手に最悪のシナリオを想像して自滅した感じだな。
→4. 海外の反応
現地に住んで歴史を学んだ身としては、もっと早い段階で現地人に自治権とかの譲歩をしておけば、ローカルな義勇軍が育って、そもそもマレー崩壊自体を防げたんじゃないかってよく考えるわ。
→5. 海外の反応
太平洋戦争初期のデカい「たられば」の一つだな。植民地主義、傲慢さ、油断、そしてちょっぴりの愚かさ。この組み合わせはマジで脳を狂わせる。
→6. 海外の反応
香港が陥落した時なんか、イギリスの指揮官は「日本人は夜間飛行ができない。なぜならアジア人は暗闇では目が見えないからだ」って本気で信じ込んでたらしいからな。これがジョークならどれだけ良かったか。
→7. 海外の反応
開戦前、アメリカ海軍は日本が導入し始めていた「酸素魚雷(九三式魚雷)」に関するかなり正確な情報を掴んでたんだよ。
でも、その報告書は即座にゴミ箱行き。アメリカ人いわく「日本人のような劣等民族に、そんな強力な兵器を開発できる知能があるわけない」だとさ。
結果、戦争が始まるとアメリカ、イギリス、オランダの艦船がその魚雷でボコボコに沈められた。一方で、アメリカ製のマーク14魚雷は製造ミスと設計ミスの嵐で、全く役に立たないただの鉄クズだったっていうオチ。
→8. 海外の反応
今はさすがに表立って「劣等民族」なんて言い方はしないけど、現代でも全く同じ問題が起きてると思うわ。台頭してくる外国への恐怖を、嘲笑することで誤魔化そうとするだろ。「中国のミサイルには燃料すら入ってない」とか「あいつらの武器はおもちゃレベルだ」とか「技術をパクるだけでイノベーションなんて無理」とか。
当時の日本だって、文字通りの封建社会から、太平洋やアジアを脅かす一大帝国へ一気に駆け上がったわけじゃん。周りはみんな利権を持ってたから、自分たちが勝てる理由を強引にでもデッチ上げるしかなかったんだよ。
→9. 海外の反応
これマジでそれな。中国のAIやテクノロジーを「どうせパクリだろ」って片付ける奴、今でもめちゃくちゃ見るわ。
仕事で深センとシリコンバレーを行き来してるけど、予備知識ゼロの宇宙人が地球に降り立ったら、間違いなく中国を世界一の超大国でイノベーションの中心地だと思うはず。
百度(Baidu)の自動運転タクシーに乗って、美団(Meituan)のドローンにデリバリーさせながら、平安(Ping
An)の最新金融AIモデルを試してみなよ。これ全部足しても20ドル以下で体験できるからな。
→10. 海外の反応
まさに今、EV技術で同じことが起きてる。欧米に上陸し始めてる中国製EVの出来の良さに、ユーチューバーたちがこぞって驚愕する動画を上げてるけどさ。あのレベルの車、中国国内じゃもう5年も前から普通に走ってたし語られてたからね。
→11. 海外の反応
横からすまんが、どんな仕事してるのか純粋に気になる。
→12. 海外の反応
まあ公平に見て、中国が長年技術を盗んだりパクったりしてたのは事実だしな。ただ、今はもうそのフェーズを完全に通り越して、最先端のイノベーターになってる。多くの人が「2001年の中国」のイメージからアップデートできてないだけ。状況はもう変わったんだよ。
13. 海外の反応
100%同意。中国をただのパクリ工場だと思ってる奴らは現実逃避しすぎ。中国の工場を視察したことあるけど、めちゃくちゃ規律正しくて清潔だったぞ。労働者はまだたくさんいたけど、自動化できるところはどんどん機械に置き換えてた。
中国という国が好きかと言われればNOだし、俺の所属する国々にとっては脅威だけど、敵をリスペクトして真剣に向き合わないと、後で痛い目を見るのは自分たちだわ。
追記:
欧米でこの話をすると、俺自身がアジア系だから「中国シンパだろ」って言われてまともに聞いてもらえないことが多くて、マジでイライラする。
14. 海外の反応
皮肉なのは、第二次世界大戦で一番夜戦が得意だったのがおそらく日本軍だったってことだな(ガダルカナル島の陸戦や海戦を見れば一目瞭然)。
→15. 海外の反応
1944年までいけば、アメリカのレーダー射撃とテクノロジーの進化が凄すぎて、夜戦でも日本軍が圧倒的に不利になってたと言っていいと思う。
ただ、1942年の時点なら間違いなく日本軍が最強だった。
→16. 海外の反応
それ、本当に短い期間だけの話だけどな。当時の日本軍はすでに中国と何年も戦ってたから、実戦経験の桁が違った。でも43年頃には、そのプライドと頑固さのせいで引き際を見失って、結果的に何十万もの命が無駄に失われることになった。
→17. 海外の反応
実は、夜戦の戦術を一番最初に開拓して極めていたのはイギリス海軍(RN)んだよ。ユトランド沖海戦の失敗を猛省してな。地中海戦線でイタリア海軍が夜戦でボコボコにされたのを見ればわかる。太平洋でその実力を発揮する機会がなかったのが本当に悔やまれる。もし実現してたら怪獣大決戦になってただろうに。
18. 海外の反応
「日本のパイロットはバカだから、地上の目印がないと飛べない。外洋のナビゲーションなんて無理に決まってる」っていう謎の思い込みもあったらしいな。
19. 海外の反応
大英帝国はあくまで植民地を支配する側だからな。現地の義勇軍に武器を渡すなんてリスクが高すぎる。その武器がいつ反乱の矛先として自分たちに向くかわからないからな。
実際、戦後に起きた「マレー危機(共産ゲリラによる反乱)」なんかは、まさにイギリスが恐れていた事態そのものだったわけで、現地人に武装させなかったのは根拠のない恐怖ってわけでもない。
→20. 海外の反応
>現地の義勇軍に武器を渡すのはリスク
これは「誰に渡すか」によるだろ。
当時、イギリスの支配下にあっても、めちゃくちゃ親英的なグループはいくらでもいた。
インドや南アジアだと、仏教徒、ヒンドゥー教徒、シーク教徒、ジャイナ教徒、ネパール人なんかからは絶大な支持を得ていた。逆に揉めてたのは主にムスリム(イスラム教徒)。イギリスがムガル帝国を滅ぼして、非ムスリムたちに独自の王国や領土を持つのを「許した」のが気に入らなかったから。ちなみに、これがシパーヒーの乱が失敗した大きな原因でもある。反乱軍が「ムガル帝国を復活させるぞ!」と宣言した瞬間、インドの非ムスリムたちが「させるかボケ!」ってなってイギリス側に協力して鎮圧しちゃったからな。
マレーでも、マレー系住民とかからは高い支持を得ていたけど、中華系コミュニティとは上手くいってなかった。
ビルマ(ミャンマー)なんて多民族すぎて、イギリスを支持して日本軍へのゲリラ戦で大活躍したグループもあれば、イギリスに恨みがあって最初は日本側についたグループもあった(まあ、日本軍が日本軍らしいお残虐行為を始めてブチ切れて、結局イギリス側に戻ってきたんだけどな)。
植民地の関係性ってのは、みんなが思ってるより遥かに複雑でニュアンスに富んでるんだよ。
→21. 海外の反応
確かに植民地の人間関係は一筋縄ではいかないな。イギリス人は民族同士を対立させて漁夫の利を得るプロだったし。
ただ、マレーの民族ダイナミクスと政治構造はインドほどバラバラじゃなかった。マレーに駐留してた治安部隊の大半が、わざわざ外国出身 of 兵士で構成されてたのには理由がある。
あと、当時の華僑(中華系)とイギリスの関係は、決して険悪じゃなかったぞ。日本が占領する前は、むしろ中華系もインド系もイギリスの統治を歓迎してたという説もある。だからこそ海峡植民地に大量に移住してきたわけだし。
ペナンやマラッカ、シンガポールを見ればわかる通り、イギリスの海峡植民地はマレー諸藩王国よりも中華系の比率が圧倒的に高かった。イギリスの行政機関も、英語教育を受けた中華系やインド系を大量に雇ってた。シンガポールの初代政治リーダーたちなんてまさにその世代。
中華系がイギリスの統治に不満を持ち始めたのは、日本軍の占領「後」の話。守ってくれるはずのイギリスにあっさり見捨てられて幻滅し、そこから中国本土の繋がりで共産主義に傾倒していったんだよ。
占領した日本軍側も、マレー系は協力者になり得ると見てたけど、中華系は最初から敵視してた。これが、当時の各民族がどれだけイギリス統治を支持してたかの裏返しでもある。
→22. 海外の反応
わざわざ後年の例を出さなくても、イギリスは第二次世界大戦の前から、シンガポールを含めてこの手の手痛い失敗を何度も経験してるからな。
→23. 海外の反応
シパーヒーの乱は……あれは「現地の義勇軍」とはちょっと違う気がするが。
→24. 海外の反応
微細ながら「植民地の軍隊がイギリス軍に牙を向いた」っていう意味では同じ例だろ。シパーヒーは確かにインド出身だけど、イギリスの植民地軍であることには変わりない。
25. 海外の反応
現地で戦った義勇軍なら普通にいたぞ。シンガポールの初代首相(首席大臣)のデヴィッド・マーシャルだってその一員だったし、マレー共産党だって(後にイギリスから手のひら返されるけど)当時は日本軍と戦ってた。
26. 海外の反応
可能性としてはあっただろうけど、それならインド軍みたいな、損害を自給自足して補充できる本格的な植民地軍の組織が必要だったろうな。
実際のところ、イギリスの戦闘序列の大部分は植民地部隊が占めてたけど、そのパフォーマンスはピンキリだった。インド兵はコタバルでの初期の上陸戦で見事な戦いを見せたし、オーストラリア兵も後のガウルで健闘した。だけど、日本軍がマレー半島を猛スピードで南下してくる中で、どちらも大敗を傾している。
マレー連隊みたいな現地部隊は、軍事的にはほぼ役立たずだった。有名なブキット・チャンドゥの戦いでの玉砕も、そこに至るまでは日本軍の進撃に敗退し続けた結果だしな。中華系の義勇軍もめちゃくちゃ勇敢だったけど、シンガポール最終決戦の前に実質解散させられてる。軍事的な成果がほぼゼロなのに全滅させるのは目に見えてたから。彼らの主な功績は、生き残った将校たちが戦後に131部隊やVフォース(占領下のマレーやビルマでの英特殊作戦執行部)に協力したことくらい。
一部のインド部隊には裏切りや脱走、果ては身内での殺し合いもあったけど、基本的には戦う意志や勇敢さが足りなかったわけじゃない。ただ、彼らの大半は二線級の部隊や志願兵で、相手は実戦で鍛え上げられた装備も上の日本軍のベテラン勢。英印軍のような分厚い予備兵力や組織的な経験値がなければ、最初から勝ち目はなかったんだよ。
27. 海外の反応
イギリスの警察思想(特別高等警察的な組織)が、反乱を恐れすぎてたんだよ。結果的に、残留部隊に組み込まれた現地の中華系がのちにマレー共産党(反英ゲリラ)になったことを考えると、その警戒自体は完全に間違ってたわけじゃない。
何て言うか、支配者は常に被支配者の影に怯え、その結果として自滅する運命だったってこと。
28. 海外の反応
コレヒドール(フィリピン)が4ヶ月も持ったのは、島に1万3000人しか兵隊がいなかったから。シンガポールには100万人の民間人と8万5000人の兵隊がいて、ただでさえ少ない物資をマッハで消費してたのが原因。
29. 海外の反応
パーシバルの部隊は「弾薬」が先に尽きたんだよ。頼むから辻(政信)の手記ばっかり読まんで、イギリス軍の作戦地下壕の戦時日誌を読んでくれ。山下はブラフをかましてたかもしれないが、パーシバルの部隊にはマジで撃つ弾が残ってなかったんだ。
→30. 海外の反応
それにパーシバルは決して臆病者でもなければ、実戦経験が足りなかったわけでもない。第一次世界大戦での武功勲章をいくつも胸に飾ってた男だぞ。
→31. 海外の反応
アイルランド共和国軍(IRA)から「テロリスト」って呼ばれて賞金首にされてたことも忘れるなよ。
まあ、将軍としての器じゃなかったのは確かだけどな。大戦間の時期は中堅の指揮官を育てるポストが少なすぎた。だから、いきなり連合軍の総指揮官なんてポジションに放り込まれた時、彼の事務方としての経験だけでは現場の崩壊をカバーしきれなかった。
副産物として結局、大英帝国の限界を物語ってるだけなんだよ。二正面作戦なんて戦えるわけがない。1925年の時点、つまり海軍のトップが植民地を視察して「現地の海軍を育てるべきか、本国から艦隊を派遣すべきか」って議論してた頃にはもう答えは出てた。1935年には、イギリスは完全に「ドイツ最優先」の舵を切ってたんだ。
公式の優先順位リストじゃ「本国防衛」「マレー戦線」、その次が「地中海戦線」だったにもかかわらずな。
ただ、1939年や40年の時点でチャーチルを責めるのも酷だわ。目の前の現役の敵(ドイツ)を差し置いて、当時世界最強クラスの海軍国二つ(日米)を同時に相手に回すような自殺行為をするわけがない。シンガポールの優先順位を下げるのは、戦略として当然の判断だった。
→32. 海外の反応
そうそう。優秀な前線の野戦将校が、優秀な参謀や指揮官になるとは限らない。しかも彼には成長する時間すら与えられなかった。
当時のイギリスの優先順位を見れば一目瞭然だよ。

1.本国防衛

2.大西洋の戦い(補給線確保)

3.スエズ運河を死守するための北アフリカ戦線

4.補給線を維持するためのマルタ島

5.ドイツ・イタリア艦隊を分断するためのジブラルタル

6.石油のためのイラク

7.シンガポール(最下位)

シンガポールには兵隊の「数」だけはいたけど、経験も中身もスカスカだった。開幕48時間で海軍力を失い、戦闘機も爆撃機も最初から足りてない。
マルタ島を差し置いてシンガポールに戦闘機を送るわけがないし、アフリカを無視してあんなところに戦車を回せるわけがない。
最悪シンガポールが落ちても、本国防衛や石油・物資のルートが即座に絶たれるわけじゃなかった。だからパーシバルは、ハナから不可能なクソゲーを押し付けられたんだよ。多少のミスはあったにせよ、何年も前になされた政治判断のツケを一人で払わされただけ。

→33. 海外の反応
仮にチャーチルが「戦闘機や戦車をシンガポールに送るぞ!」って決断したとしても、そもそもそれを運ぶ輸送船がどこにあったんだって話だしな。エジプト行きの船はあったけど、喜望峰をぐるっと回るルートや護衛艦の数を考えたら、ソ連に送るはずだった飛行機や戦車が時間内にシンガポールに届いたとは到底思えない。
Uボートのせいで輸送船が足りなくなり、マダガスカル島とかが物資不足で干からびてたのを見れば、ロジスティクス的に絶対無理だったのは明白だわ。
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