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600年続いた世界帝国オスマンでは1905年の識字率が5%だったのに、200年以上外に閉ざしてた日本の識字率が1905年に80%になったのはなぜ?
[まず出典はこちら Herbert Passin – Society and Education in Japan](https://www.amazon.co.uk/Society-Education-Japan-Herbert-Passin/dp/0870115545)
「地理は運命だ」ってこういうことのために言われてるセリフなのか?オスマン帝国はなんで近代化を一度も構造的に考えなかったのに、それでも生き残れた帝国になったんだろう。日本はこんなに速い変化を成し遂げて、第二次世界大戦ではアメリカとロシアに歯向かうレベルまで来た。
識字率にこんなに大きな差があって、二つの帝国の間にこれだけ重要な発展スピードの差があることについて、お前らどう思う?




いま話題の海外の反応
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海外の反応
1. 海外の反応
日本は特殊な例だよな。他の国とは違って、僧侶や神官が民衆の識字教育に協力してたから。産業化が始まった1800年代後半には識字率が40%を超えてて、これはヨーロッパの平均より高い。つまり識字率で言えば、こっちだけじゃなくヨーロッパすら置いてったってことだな。
日本は特殊な例だよな。他の国とは違って、僧侶や神官が民衆の識字教育に協力してたから。産業化が始まった1800年代後半には識字率が40%を超えてて、これはヨーロッパの平均より高い。つまり識字率で言えば、こっちだけじゃなくヨーロッパすら置いてったってことだな。
2. 海外の反応
文字革命(トルコの文字改革)に反対する人たちって、よく『日本人はアルファベットを変えなかったじゃないか』って日本を例に出すんだよな。でも徳川幕府時代の日本は、当時の水準からすればとんでもない成功例で、識字率が社会全体に広く行き渡ってた。一方オスマンはそうじゃなかった。
もしオスマンが識字を社会全体に広められてたら、アタテュルクの頭に文字改革なんて発想は出てこなかったかもしれない。でも識字率が『ほぼゼロ』に近いレベルだったから、アタテュルクにとっては最高の実験場になったわけ。
つまり明治天皇が即位した時点で、日本社会はすでに飛躍する準備ができてた。こっちは教育をまず社会全体に広めるところから始めないといけなかった。İsmail Hakkı Tonguçの『Canlandırılacak Köy』って本に、うちの教育の歴史が詳しく書かれてる。
ちょっと違う視点から話してみたかった。
文字革命(トルコの文字改革)に反対する人たちって、よく『日本人はアルファベットを変えなかったじゃないか』って日本を例に出すんだよな。でも徳川幕府時代の日本は、当時の水準からすればとんでもない成功例で、識字率が社会全体に広く行き渡ってた。一方オスマンはそうじゃなかった。
もしオスマンが識字を社会全体に広められてたら、アタテュルクの頭に文字改革なんて発想は出てこなかったかもしれない。でも識字率が『ほぼゼロ』に近いレベルだったから、アタテュルクにとっては最高の実験場になったわけ。
つまり明治天皇が即位した時点で、日本社会はすでに飛躍する準備ができてた。こっちは教育をまず社会全体に広めるところから始めないといけなかった。İsmail Hakkı Tonguçの『Canlandırılacak Köy』って本に、うちの教育の歴史が詳しく書かれてる。
ちょっと違う視点から話してみたかった。
3. 海外の反応
日本が開国して近代化した理由は、すぐ隣にあった古代文明のライバル、清帝国がヨーロッパ列強にたった少数の兵力でコケにされたのを見たからなんだよな。
日本は清の失敗から学んで、先進国に調査団を派遣した。その調査団が法律・軍事・産業・芸術などの分野でレポートをまとめて、帰国後そのレポートを基に自国を近代化していった。
当時の『日本化』っていう言葉は、西洋文明の良いところを取り入れつつ、自分たちの文化は捨てないっていう意味合いだった。
その後、この改革を進めた日本人の一部は伝統を守ることを選んで反乱を起こした。反乱自体は鎮圧されたけど、他の国みたいに反乱者を『裏切り者』扱いするんじゃなくて、敬意を持って自国の歴史の一部として受け入れた。
日本とオスマンの違いは、日本はすぐ隣で起きてる嵐から学んでただけなのに対して、オスマンはその嵐のど真ん中にいたってこと。
日本では伝統派と近代化派が互いに敬意を示して、『意見が違うだけ』と認め合ってた。『お前は国の裏切り者だ』『俺たちの側じゃない奴は全員西側のスパイだ』みたいなことは言わなかったんだよな。
日本が開国して近代化した理由は、すぐ隣にあった古代文明のライバル、清帝国がヨーロッパ列強にたった少数の兵力でコケにされたのを見たからなんだよな。
日本は清の失敗から学んで、先進国に調査団を派遣した。その調査団が法律・軍事・産業・芸術などの分野でレポートをまとめて、帰国後そのレポートを基に自国を近代化していった。
当時の『日本化』っていう言葉は、西洋文明の良いところを取り入れつつ、自分たちの文化は捨てないっていう意味合いだった。
その後、この改革を進めた日本人の一部は伝統を守ることを選んで反乱を起こした。反乱自体は鎮圧されたけど、他の国みたいに反乱者を『裏切り者』扱いするんじゃなくて、敬意を持って自国の歴史の一部として受け入れた。
日本とオスマンの違いは、日本はすぐ隣で起きてる嵐から学んでただけなのに対して、オスマンはその嵐のど真ん中にいたってこと。
日本では伝統派と近代化派が互いに敬意を示して、『意見が違うだけ』と認め合ってた。『お前は国の裏切り者だ』『俺たちの側じゃない奴は全員西側のスパイだ』みたいなことは言わなかったんだよな。
4. 海外の反応
俺はここで中央集権体制自体を問題視したい。
オスマンの統治はヨーロッパ(ここで例に挙がってる日本も含めて)に比べてかなり中央集権的だった。中世〜近世においてはこれが大きなアドバンテージになってた。ヨーロッパでは小さな領主たちが互いに争ってる間、オスマンはスルタンの中央集権力のおかげで巨大な軍隊を組織できて、広大な領土を統治できてた。
でもそれは同時に、投資がほんの一部の統治拠点(基本的にイスタンブール)にしか向かわないってことでもあった。
ヨーロッパでは小さな領主それぞれが自分の周りでエンジニア・学者・役人・弁護士・戦略家なんかを育てていたのに対して、オスマンではスルタンの周りだけで人材が育てられた。民衆の大半は教育を受けなかった。
その後どうなったかというと、1800年代にヨーロッパが中央集権化していく中で、各国にはすでにしっかりした教育基盤があって、中央政府はさらに教育を重視するようになった。オスマンはここで完全に取り残された。
日本も鎖国してたとはいえ、システム自体はかなり封建的だったし、1800年代以降はヨーロッパの影響を強く受けてる。
要するに、オスマンはその時代においては素晴らしい征服・拡大・統治の戦略を取ってたけど、その戦略が長期的にはオスマンを後進国にしてしまった。これは当時誰にも予測できなかったことだと思う。
俺はここで中央集権体制自体を問題視したい。
オスマンの統治はヨーロッパ(ここで例に挙がってる日本も含めて)に比べてかなり中央集権的だった。中世〜近世においてはこれが大きなアドバンテージになってた。ヨーロッパでは小さな領主たちが互いに争ってる間、オスマンはスルタンの中央集権力のおかげで巨大な軍隊を組織できて、広大な領土を統治できてた。
でもそれは同時に、投資がほんの一部の統治拠点(基本的にイスタンブール)にしか向かわないってことでもあった。
ヨーロッパでは小さな領主それぞれが自分の周りでエンジニア・学者・役人・弁護士・戦略家なんかを育てていたのに対して、オスマンではスルタンの周りだけで人材が育てられた。民衆の大半は教育を受けなかった。
その後どうなったかというと、1800年代にヨーロッパが中央集権化していく中で、各国にはすでにしっかりした教育基盤があって、中央政府はさらに教育を重視するようになった。オスマンはここで完全に取り残された。
日本も鎖国してたとはいえ、システム自体はかなり封建的だったし、1800年代以降はヨーロッパの影響を強く受けてる。
要するに、オスマンはその時代においては素晴らしい征服・拡大・統治の戦略を取ってたけど、その戦略が長期的にはオスマンを後進国にしてしまった。これは当時誰にも予測できなかったことだと思う。
5. 海外の反応
>>4
1500年代以降のオスマンは別に中央集権なんかじゃなかったぞ。アナトリアとルメリを除けば、国家の統制力はかなり限定的だった。
>>4
1500年代以降のオスマンは別に中央集権なんかじゃなかったぞ。アナトリアとルメリを除けば、国家の統制力はかなり限定的だった。
6. 海外の反応
つまり日本は200年も鎖国できたのに、オスマンは常に戦争のど真ん中にいた。これも一つの要因かもな。
つまり日本は200年も鎖国できたのに、オスマンは常に戦争のど真ん中にいた。これも一つの要因かもな。
7. 海外の反応
>>6
こっちが何もしなくても北にはロシアがいて、バルカンではいつも戦争か反乱が起きてる。ちょっとでも落ち着く暇がない、すぐ誰かが戦争を仕掛けてくるか、こっちが自分で火種を作るかのどっちかだ。昔のタイプの帝国はそもそも『民衆を教育しよう』なんて簡単には言わないし、言ったとしてもそんな余裕なんてない。
>>6
こっちが何もしなくても北にはロシアがいて、バルカンではいつも戦争か反乱が起きてる。ちょっとでも落ち着く暇がない、すぐ誰かが戦争を仕掛けてくるか、こっちが自分で火種を作るかのどっちかだ。昔のタイプの帝国はそもそも『民衆を教育しよう』なんて簡単には言わないし、言ったとしてもそんな余裕なんてない。
8. 海外の反応
>>6
日本はケマリズムやイスラム教団との対立なんて経験してない。あれがあったら日本だって似たような目に遭ってたはずだぞ。
>>6
日本はケマリズムやイスラム教団との対立なんて経験してない。あれがあったら日本だって似たような目に遭ってたはずだぞ。
9. 海外の反応
>>8
そうそう、ケマリズムが出てくるまでオスマンは1900年代まで超大国だったのに、ケマリズムが現れた瞬間『うわあ大変だ』って一気に崩壊したんだよな(笑)。
いい加減にしろって。民衆はアナトリアで貧困に苦しんでて、好き勝手に馬を乗り回してる連中もいた。周りの国からは『病人(ヨーロッパの病人)』って笑われてたし、どこの国の大使だか知らんがスルタンに説教垂れに来るレベル。それでもまだ『ケマリズムがどうこう』とか言ってるのか。
そもそもシステムがちゃんとしてたら、どんな風が吹いても揺らがなかったはずだろ。
>>8
そうそう、ケマリズムが出てくるまでオスマンは1900年代まで超大国だったのに、ケマリズムが現れた瞬間『うわあ大変だ』って一気に崩壊したんだよな(笑)。
いい加減にしろって。民衆はアナトリアで貧困に苦しんでて、好き勝手に馬を乗り回してる連中もいた。周りの国からは『病人(ヨーロッパの病人)』って笑われてたし、どこの国の大使だか知らんがスルタンに説教垂れに来るレベル。それでもまだ『ケマリズムがどうこう』とか言ってるのか。
そもそもシステムがちゃんとしてたら、どんな風が吹いても揺らがなかったはずだろ。
10. 海外の反応
『お前はアナトリアの民だ。作物を作れと言ったら作物を作れ、戦争と言ったら戦争に行け。お前にはそれ以外の仕事なんてない。』
『お前はアナトリアの民だ。作物を作れと言ったら作物を作れ、戦争と言ったら戦争に行け。お前にはそれ以外の仕事なんてない。』
11. 海外の反応
>>10
お前無知だな、トルコ人を腐すなよ。日本が発展できたのは世界から孤立してたからだし、トルコが発展できなかったのは少数民族問題に振り回されてたからだろ。
>>10
お前無知だな、トルコ人を腐すなよ。日本が発展できたのは世界から孤立してたからだし、トルコが発展できなかったのは少数民族問題に振り回されてたからだろ。
12. 海外の反応
>>11
お前が今『少数民族』と見てる民族は、100年前はそもそも少数民族として扱われてなかったんだよ。しかも日本も19世紀に大きな内戦をやってる。でもトルコを後進国にしたのは、汚職政治家やクーデターを起こした軍人、無能な官僚じゃなくて少数民族のせいだって言うんだな。聞けば『テロ対策に何十億ドルも使った』とは言うけど、その40年分のテロ対策費を政治家が1年で横領してたことは絶対言わないよな。
>>11
お前が今『少数民族』と見てる民族は、100年前はそもそも少数民族として扱われてなかったんだよ。しかも日本も19世紀に大きな内戦をやってる。でもトルコを後進国にしたのは、汚職政治家やクーデターを起こした軍人、無能な官僚じゃなくて少数民族のせいだって言うんだな。聞けば『テロ対策に何十億ドルも使った』とは言うけど、その40年分のテロ対策費を政治家が1年で横領してたことは絶対言わないよな。
13. 海外の反応
『最初の命令が「読め」だった宗教の信者は識字率5%、草履履いて草木を拝んでる日本人は80%。片方では偽の宗教指導者たちが「神じゃなく自分たちを信じさせるため」に民衆を無知にしておいた。もう片方では宗教指導者たちが「民衆が搾取されないように」教育を施した。それだけの話だよ。』
『最初の命令が「読め」だった宗教の信者は識字率5%、草履履いて草木を拝んでる日本人は80%。片方では偽の宗教指導者たちが「神じゃなく自分たちを信じさせるため」に民衆を無知にしておいた。もう片方では宗教指導者たちが「民衆が搾取されないように」教育を施した。それだけの話だよ。』
14. 海外の反応
200年間続いた平和の時代を、なんかマイナスなことみたいに言ってるな。徳川が平和を定着させて、刀から離れた武士たちは官僚や教育の分野に入っていった。すでに『寺子屋』っていう巨大な学校網もあったし、印刷技術のおかげで本へのアクセスも今までにないくらい楽になった。
200年間続いた平和の時代を、なんかマイナスなことみたいに言ってるな。徳川が平和を定着させて、刀から離れた武士たちは官僚や教育の分野に入っていった。すでに『寺子屋』っていう巨大な学校網もあったし、印刷技術のおかげで本へのアクセスも今までにないくらい楽になった。
15. 海外の反応
さあ、どうだろうな。そもそも大した『世界帝国』なんかじゃなかったからかもしれない。イスタンブール以外はまともな投資を受けてないし、イスタンブールへの投資も科学とは縁遠くて、スルタンの宮殿の隣にもう一つ宮殿を建てるために国を2〜3回もデフォルト寸前に追い込んだくらいだ。全然『世界帝国』って感じじゃないよな。
さあ、どうだろうな。そもそも大した『世界帝国』なんかじゃなかったからかもしれない。イスタンブール以外はまともな投資を受けてないし、イスタンブールへの投資も科学とは縁遠くて、スルタンの宮殿の隣にもう一つ宮殿を建てるために国を2〜3回もデフォルト寸前に追い込んだくらいだ。全然『世界帝国』って感じじゃないよな。
16. 海外の反応
オスマンは軍事国家としては優秀だった。ただ生き残るという点では、当時の西洋が選んだような『産業化』『ナショナリズム』『共和制』みたいな概念は持ってなかった。西洋がこういう概念を発展させたのは、オスマンに振り落とされないようにするためでもあった(香辛料の道を迂回する目的、その後のアメリカ大陸発見、そこへの無償労働力の輸送、アフリカの分割、そして極東を貿易で自分たちに縛り付けるため、といった流れ)。
オスマンは西洋諸国と違って、時々『勝ち』時々『負け』じゃなくて常に『勝ち』の国だった。それに他のヨーロッパ諸国と違って、オスマンは異質な(ヘテロな)社会だった。ヨーロッパ各国は均質な社会を作るために(カトリックvsプロテスタントで)自国民同士を殺し合わせてた。
オスマンは『他国の敵対者であること』を自国の存続の基盤にしてた国だった。人間の本性(欲求、願望、革新、成長、変化)を、上から与えられる恩恵や恐怖でコントロールしようとする、典型的な中世国家だったわけ。
で、こういう西洋のやり方を生き残るために模倣した別の国があるとしたら、それが日本ってことだ。
識字率や産業化、科学の発展っていうのは、そもそも西洋を『今の西洋』にしたものじゃない。むしろ西洋を、人種差別と組織的で透明な『搾取』をうまくやるシステムに変えたものなんだよな。『肌の黒い連中は発展してないから支配される必要がある』って発想。工場で働いて寮で寝るのは畑で働くよりマシだし、畑がないなら工場労働はお前の抜け道にもなる。王様が嫌いなら、首を切られずに議会でそれを言えるようになった、っていうのも西洋のやり方。
印刷機っていうのは、当時における90年代・2000年代・2010年代のインターネットみたいなものだった。本当に『何かを学べる場所』だったわけ。人々は読み書きを覚えることで、自分の狭くて小さな人生から思考の世界の中では抜け出せた。オスマンは民衆に視野を広げるようなものを提供しようなんて考えてなかった。
それと、キリスト教国家の多くは最初から『帝国』として始まったわけじゃない。互いに騙し合ったり出し抜いたりしながらスタートした。これが、それぞれの社会の中で個人が自分を高めることを優先させることにつながった。それと彼らには『異教徒との境界線』が一つだけあった。非カトリックの境界(主にオスマン臣民だった正教徒)とイスラムの境界(つまりオスマン)。つまり市民が自分を高めることは、同時に『あの忌々しいムハンマド教徒たち』について噂話や情報交換をすることにもつながってたわけ。オスマンの民衆の間には、そんな風にフランク人(西洋人)を貶すような風刺画や文章は見つからない。なぜなら彼らは西洋を『脅威』としてじゃなく、『いつか自分たちに頭を下げる存在』として見てたから。
イギリスが島国であることから来るアドバンテージや変化もよく語られるよな。自動的な孤立、言葉にはされない自動的な国益、自動的な独自性、そして統治する王室が民衆をある程度までしか抑圧できないっていう現実。日本も自国の中にそういう構造があって、西洋がやってる『切った張った』の人種差別や帝国主義的成功、貿易なんかを見て、中国みたいにアヘン漬けにされて搾取される側にならないために、自国民を『目覚めさせたかった』。そのために、西洋のそういうやり方すべての出発点である、知識を蓄積させる装置=印刷機を優先させたんだ。
オスマンは軍事国家としては優秀だった。ただ生き残るという点では、当時の西洋が選んだような『産業化』『ナショナリズム』『共和制』みたいな概念は持ってなかった。西洋がこういう概念を発展させたのは、オスマンに振り落とされないようにするためでもあった(香辛料の道を迂回する目的、その後のアメリカ大陸発見、そこへの無償労働力の輸送、アフリカの分割、そして極東を貿易で自分たちに縛り付けるため、といった流れ)。
オスマンは西洋諸国と違って、時々『勝ち』時々『負け』じゃなくて常に『勝ち』の国だった。それに他のヨーロッパ諸国と違って、オスマンは異質な(ヘテロな)社会だった。ヨーロッパ各国は均質な社会を作るために(カトリックvsプロテスタントで)自国民同士を殺し合わせてた。
オスマンは『他国の敵対者であること』を自国の存続の基盤にしてた国だった。人間の本性(欲求、願望、革新、成長、変化)を、上から与えられる恩恵や恐怖でコントロールしようとする、典型的な中世国家だったわけ。
で、こういう西洋のやり方を生き残るために模倣した別の国があるとしたら、それが日本ってことだ。
識字率や産業化、科学の発展っていうのは、そもそも西洋を『今の西洋』にしたものじゃない。むしろ西洋を、人種差別と組織的で透明な『搾取』をうまくやるシステムに変えたものなんだよな。『肌の黒い連中は発展してないから支配される必要がある』って発想。工場で働いて寮で寝るのは畑で働くよりマシだし、畑がないなら工場労働はお前の抜け道にもなる。王様が嫌いなら、首を切られずに議会でそれを言えるようになった、っていうのも西洋のやり方。
印刷機っていうのは、当時における90年代・2000年代・2010年代のインターネットみたいなものだった。本当に『何かを学べる場所』だったわけ。人々は読み書きを覚えることで、自分の狭くて小さな人生から思考の世界の中では抜け出せた。オスマンは民衆に視野を広げるようなものを提供しようなんて考えてなかった。
それと、キリスト教国家の多くは最初から『帝国』として始まったわけじゃない。互いに騙し合ったり出し抜いたりしながらスタートした。これが、それぞれの社会の中で個人が自分を高めることを優先させることにつながった。それと彼らには『異教徒との境界線』が一つだけあった。非カトリックの境界(主にオスマン臣民だった正教徒)とイスラムの境界(つまりオスマン)。つまり市民が自分を高めることは、同時に『あの忌々しいムハンマド教徒たち』について噂話や情報交換をすることにもつながってたわけ。オスマンの民衆の間には、そんな風にフランク人(西洋人)を貶すような風刺画や文章は見つからない。なぜなら彼らは西洋を『脅威』としてじゃなく、『いつか自分たちに頭を下げる存在』として見てたから。
イギリスが島国であることから来るアドバンテージや変化もよく語られるよな。自動的な孤立、言葉にはされない自動的な国益、自動的な独自性、そして統治する王室が民衆をある程度までしか抑圧できないっていう現実。日本も自国の中にそういう構造があって、西洋がやってる『切った張った』の人種差別や帝国主義的成功、貿易なんかを見て、中国みたいにアヘン漬けにされて搾取される側にならないために、自国民を『目覚めさせたかった』。そのために、西洋のそういうやり方すべての出発点である、知識を蓄積させる装置=印刷機を優先させたんだ。
17. 海外の反応
>>16
かなり一方的な内容になってるな。
『オスマンは民衆に視野を広げるものを提供しようと考えてなかった』って書いてるけど、それは間違いだぞ。むしろ逆で、オスマンは印刷機を導入しようとしたけど、民衆の側に印刷機を使った本への需要がなかったんだよ。民衆は無知で、そもそも読みたがらなかった。
オスマン国内に西洋人を悪く描く風刺画や文章がなかったのもそれが理由。実際には、民衆が読み書きできなくても、国内では西洋人を悪者にするイメージはしっかり作られてた。ロシアには『モスコフの異教徒』、梅毒には『フレンギ(フランク病)』っていう、フランク人から来た病気って意味の名前がつけられてた(実際には梅毒は新大陸の先住民由来なんだけど、他の民族も同じことをやってたし、オスマンも例外じゃなかった)。
オスマンも国内でスンニ派/アレヴィー派の対立でアレヴィー派を虐殺してるし、何世紀にもわたって起きたジェラーリー反乱も厳しく鎮圧してる。
日本の成功は、単に西洋の人種差別や帝国主義を模倣したからってわけじゃない。日本が一番影響を受けたのはドイツだよ。ドイツだってまともな植民地なんて持ってなかった(だから世界大戦を起こしたわけだし)。日本も第一次世界大戦まではまともな植民地を得られなかったし、その戦争での戦果にも満足できてなかった。日本はロシアと同じように、トップダウンで西洋化を進めて、ドイツ式のベースを取り入れて発展させていったんだ。
>>16
かなり一方的な内容になってるな。
『オスマンは民衆に視野を広げるものを提供しようと考えてなかった』って書いてるけど、それは間違いだぞ。むしろ逆で、オスマンは印刷機を導入しようとしたけど、民衆の側に印刷機を使った本への需要がなかったんだよ。民衆は無知で、そもそも読みたがらなかった。
オスマン国内に西洋人を悪く描く風刺画や文章がなかったのもそれが理由。実際には、民衆が読み書きできなくても、国内では西洋人を悪者にするイメージはしっかり作られてた。ロシアには『モスコフの異教徒』、梅毒には『フレンギ(フランク病)』っていう、フランク人から来た病気って意味の名前がつけられてた(実際には梅毒は新大陸の先住民由来なんだけど、他の民族も同じことをやってたし、オスマンも例外じゃなかった)。
オスマンも国内でスンニ派/アレヴィー派の対立でアレヴィー派を虐殺してるし、何世紀にもわたって起きたジェラーリー反乱も厳しく鎮圧してる。
日本の成功は、単に西洋の人種差別や帝国主義を模倣したからってわけじゃない。日本が一番影響を受けたのはドイツだよ。ドイツだってまともな植民地なんて持ってなかった(だから世界大戦を起こしたわけだし)。日本も第一次世界大戦まではまともな植民地を得られなかったし、その戦争での戦果にも満足できてなかった。日本はロシアと同じように、トップダウンで西洋化を進めて、ドイツ式のベースを取り入れて発展させていったんだ。
18. 海外の反応
俺はここに大きな違いが2つあると思う。
1. オスマンは当時の基準からしてもかなり中央集権的だった。これにはメリットもあったけど、近代に入るにつれてデメリットの方が目立ってきた。
まず何より、イスタンブールの物価が国にとってすごく重要だった。急な価格変動は大宰相や下手すればスルタン自身の首を飛ばすような反乱につながりかねなかったから。その結果、国の財政の基本方針の一つが常に『イアシェジリク(民生物資確保主義)』になった。つまり国内市場に少しでも問題が出ると、国庫を空にしてでも輸入をして物価を下げてたんだよ。これによって、貿易が自律的に動くというよりは、国家が過剰に介入する仕組みが生まれた。
一方日本では中央政府はそこまで強くなかった。将軍はスルタンみたいに気軽に『知事』(厳密には違うけど、大名としておく)を任命したり解任したりはできなかった。だから地域ごとに商人の置かれる条件が違って、商人の組織はそれぞれ最適な戦略に向かって独自に発展していけて、結果的に全国でより強力な組織になれた。
この2国の構造の違いは、普通の農民が商人になる(そして商人として成功するために読み書きを覚える)ために必要な条件にも影響してた。国家による物価・物資政策への介入、それに地域間の内部関税の仕組みが、商人になることをかなり難しくしてたのは間違いない。
もちろん読み書きができるようになるには、まずそれを『必要とする』状況が先にないといけない。畑で鋤を使って働くことを強制されるシステムの中で、読み書きができても得にならないなら、読み書きを覚える必要もない。それはただの資源と時間の無駄になるだけだからな。
2. 人口密度。日本は小さな島に住む人口を持ってる。特に稲作地帯では、近接した村々にそれなりに多い人口が住んでた。これはつまり、もっと多くのローカル市場、もっと多くの商業的な交流がある、ってことになる。
オスマンの方はバルカンを除けば、砂漠や山岳地帯からなる広大な地理に、比較的人口の薄い状態で広がってた国だった。
俺はここに大きな違いが2つあると思う。
1. オスマンは当時の基準からしてもかなり中央集権的だった。これにはメリットもあったけど、近代に入るにつれてデメリットの方が目立ってきた。
まず何より、イスタンブールの物価が国にとってすごく重要だった。急な価格変動は大宰相や下手すればスルタン自身の首を飛ばすような反乱につながりかねなかったから。その結果、国の財政の基本方針の一つが常に『イアシェジリク(民生物資確保主義)』になった。つまり国内市場に少しでも問題が出ると、国庫を空にしてでも輸入をして物価を下げてたんだよ。これによって、貿易が自律的に動くというよりは、国家が過剰に介入する仕組みが生まれた。
一方日本では中央政府はそこまで強くなかった。将軍はスルタンみたいに気軽に『知事』(厳密には違うけど、大名としておく)を任命したり解任したりはできなかった。だから地域ごとに商人の置かれる条件が違って、商人の組織はそれぞれ最適な戦略に向かって独自に発展していけて、結果的に全国でより強力な組織になれた。
この2国の構造の違いは、普通の農民が商人になる(そして商人として成功するために読み書きを覚える)ために必要な条件にも影響してた。国家による物価・物資政策への介入、それに地域間の内部関税の仕組みが、商人になることをかなり難しくしてたのは間違いない。
もちろん読み書きができるようになるには、まずそれを『必要とする』状況が先にないといけない。畑で鋤を使って働くことを強制されるシステムの中で、読み書きができても得にならないなら、読み書きを覚える必要もない。それはただの資源と時間の無駄になるだけだからな。
2. 人口密度。日本は小さな島に住む人口を持ってる。特に稲作地帯では、近接した村々にそれなりに多い人口が住んでた。これはつまり、もっと多くのローカル市場、もっと多くの商業的な交流がある、ってことになる。
オスマンの方はバルカンを除けば、砂漠や山岳地帯からなる広大な地理に、比較的人口の薄い状態で広がってた国だった。
19. 海外の反応
片方は同じ言語を話して同じ教育制度を経た均質な社会、もう片方はスラブ系からカンニバルまで武力でひとまとめにされた人たちの集まり。同じスピードで進めるわけないだろ。
片方は同じ言語を話して同じ教育制度を経た均質な社会、もう片方はスラブ系からカンニバルまで武力でひとまとめにされた人たちの集まり。同じスピードで進めるわけないだろ。
20. 海外の反応
これの理由は、もっと古い時代まで遡らないといけない。当時の日本では将軍や武士に読み書きの能力が必須だった、みたいな前提があった。つまりカリフ制(オスマン)の側にも、伝統として読み書きができる階級がもともと存在していた、というだけの話だ。
これの理由は、もっと古い時代まで遡らないといけない。当時の日本では将軍や武士に読み書きの能力が必須だった、みたいな前提があった。つまりカリフ制(オスマン)の側にも、伝統として読み書きができる階級がもともと存在していた、というだけの話だ。
21. 海外の反応
『世界帝国』って何だよ!? 当時のオスマンなんて、実質『首都と村々』でしかなかったんだから。
『世界帝国』って何だよ!? 当時のオスマンなんて、実質『首都と村々』でしかなかったんだから。
22. 海外の反応
まず就学率が高かった。それに加えて、日本語の文字体系は日本語の言語構造に合わせて作られてる。
でもオスマンは、民衆の言葉はトルコ語なのに、書き言葉はアラビア文字。アラビア文字はトルコ語の文法構造に合ってないから、学ぶのがめちゃくちゃ難しい。『オスマン語なんて簡単だよ』って言う人たちには、トルコ語・文学を専攻してる大学生に聞いてみてほしいね、本当に簡単かどうか。立派に大学に合格した18歳の若者でさえ習得にすごく苦労するのに、6〜7歳の子どもにどうやって習得させるんだよって話。
まず就学率が高かった。それに加えて、日本語の文字体系は日本語の言語構造に合わせて作られてる。
でもオスマンは、民衆の言葉はトルコ語なのに、書き言葉はアラビア文字。アラビア文字はトルコ語の文法構造に合ってないから、学ぶのがめちゃくちゃ難しい。『オスマン語なんて簡単だよ』って言う人たちには、トルコ語・文学を専攻してる大学生に聞いてみてほしいね、本当に簡単かどうか。立派に大学に合格した18歳の若者でさえ習得にすごく苦労するのに、6〜7歳の子どもにどうやって習得させるんだよって話。
23. 海外の反応
>>22
日本の文字体系は世界でも最も難しいもののひとつだぞ。読み書きが広まったのは文字体系が実用的だったからじゃなくて、単に就学率が高かったからだ。
>>22
日本の文字体系は世界でも最も難しいもののひとつだぞ。読み書きが広まったのは文字体系が実用的だったからじゃなくて、単に就学率が高かったからだ。
24. 海外の反応
>>23
日本人は4種類の文字を使ってて、そのうち3つは自分たちで作ったものだ。この場合、文字体系は自分たちの言語に対してかなり実用的に機能してるってことになる。
>>23
日本人は4種類の文字を使ってて、そのうち3つは自分たちで作ったものだ。この場合、文字体系は自分たちの言語に対してかなり実用的に機能してるってことになる。
25. 海外の反応
>>24
中国人も自分たちで自前の文字体系を作ったけど、今では『簡体字』っていうものがあるよな。
>>24
中国人も自分たちで自前の文字体系を作ったけど、今では『簡体字』っていうものがあるよな。
26. 海外の反応
1868年に明治天皇って人がクーデターを起こして、トップダウンで改革を民衆に押し付けたから。それが理由。
オスマンがあんなに長く存続できたのも、西洋列強が『病んだオスマン』をそのまま生かしておく方を、崩壊して灰の中からより強い体制が生まれるよりも好んだからっていうのが一因だ。ロシアが介入してなかったら、カヴァラル・メフメト・アリ・パシャが1830年代にオスマンを滅ぼしてたはず。ギリギリのところで外部の支援によって止められたんだよ。
1868年に明治天皇って人がクーデターを起こして、トップダウンで改革を民衆に押し付けたから。それが理由。
オスマンがあんなに長く存続できたのも、西洋列強が『病んだオスマン』をそのまま生かしておく方を、崩壊して灰の中からより強い体制が生まれるよりも好んだからっていうのが一因だ。ロシアが介入してなかったら、カヴァラル・メフメト・アリ・パシャが1830年代にオスマンを滅ぼしてたはず。ギリギリのところで外部の支援によって止められたんだよ。
27. 海外の反応
オスマンは常に少数民族の反乱に見舞われてたし、ロシア・オーストリア=ハンガリー・イギリスと常に戦争状態にあった。ロシアが少数民族をけしかけてトルコ人にぶつけてきた結果、トルコ人は発展できなかったんだ。
オスマンは常に少数民族の反乱に見舞われてたし、ロシア・オーストリア=ハンガリー・イギリスと常に戦争状態にあった。ロシアが少数民族をけしかけてトルコ人にぶつけてきた結果、トルコ人は発展できなかったんだ。
28. 海外の反応
日本人は『西洋化なんてしたくない、伝統を守るんだ』って言う連中を実際に殺したから、それが理由。
日本史を見れば、内戦が起きて、西洋化反対派が殺されていったのがわかるはず。
オスマンが弱腰じゃなかったら、国内の保守層に対して同じような粛清をやってたら、オスマンの状況も今よりマシになってたと思うよ。
日本人は『西洋化なんてしたくない、伝統を守るんだ』って言う連中を実際に殺したから、それが理由。
日本史を見れば、内戦が起きて、西洋化反対派が殺されていったのがわかるはず。
オスマンが弱腰じゃなかったら、国内の保守層に対して同じような粛清をやってたら、オスマンの状況も今よりマシになってたと思うよ。
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