なぜ日本人は「着物→物珍しい洋服」に着替えられたのか…明治政府が推進した”国家プロジェクト”の結末
日本人の服装は明治以降、着物から洋服へと変わっていった。神戸大学大学院教授の平芳裕子さんは「明治政府が公的な衣服として洋服を採用したものの、当時の日本人にとっては未知のものであり、マニュアル本を読んで勉強するしかなかった」という――。
あの西郷隆盛を慌てさせた“事件”
私たちがなにげなく着ている服にも、歴史があります。明治新政府における服装をめぐっては、こんな逸話も残されています。薩摩藩士であった西郷隆盛も、宮中へ参内するときには「衣冠」に着替えなければなりませんでした。ところが着慣れないものであるために、途中で紐が切れてしまい、大いに慌てたというのです。西郷隆盛が動揺する様子が目に浮かぶようです。しかしこれは、現代の政治家が慣れないモーニングを着たために、着こなしがよろしくないと批判された事件を思いおこさせます。
ふだん着ない服を着るのは、気を使うものです。みなさんも、もし会社の上司や学校の先生に、「明日は着物で来てください」と言われたらどうでしょうか。大半の人は、「困った」と思うに違いありません。
当時の日本人にとっては未知のもの
まず、着物そのものを持っていない人が多いと思います。取り急ぎ入手するには、専門店やデパートに行くのが手っ取り早いでしょう。しかし、反物(生地)を選んで仕立ててもらうには時間がかかります。それに高価なものをすぐに購入するのはためらわれるかもしれません。そこで、レンタルショップへ行くことにします。たまたま明日着られる商品があったとしても、下着や小物など着物専用のいろいろな付属品も必要になります。それらをなんとか用意できても、今度はどのような順番でどうやって着ればよいのかわからない。そんな方が多いと思います。私たちはふだん「洋服」を着て生活しているので、突然「着物で来てください」などと言われたら、さまざまな問題にぶつかります。
これと似たような状況を、明治のころの人々も経験したことと想像されます。当時の人々にとっての洋服とは、それまで実際に見たこともない未知のものです。ここでは、日本の人々がどのように洋服を着るようになったのか、その歴史的背景と社会的状況を振り返りながら、現代の私たちの服装の選択について考えてみたいと思います。
なぜ日本人は「着物→物珍しい洋服」に着替えられたのか…明治政府が推進した"国家プロジェクト"の結末日本人の服装は明治以降、着物から洋服へと変わっていった。神戸大学大学院教授の平芳裕子さんは「明治政府が公的な衣服として洋服を採用したものの、当時の日本人にとっては未知のものであり、マニュアル本を読んで勉強するしかなかった」という――。
海外の反応
なんで世界中の国がこぞって洋服に切り替えたんだろ?
結局、伝統よりも実用性が勝つってことよ。
ただ、男からすると夏場の洋服は通気性が悪すぎ。着物とかキルトみたいな民族衣装の方が涼しいのに。ちょっと悲しいわ。
まあ、洋服って言ってもパジャマみたいに元はインド発祥のものもあったりして、全部が全部西洋産ってわけじゃないんだけどな。
キルトかよ……。
たぶんこいつ、スコットランドが北にあるから「西洋(ウエスト)」じゃないと思ってんじゃね?
現実問題、キルトは標準的な洋服とは言えないしな。
暑い中スーツ着なきゃいけないのは全然実用的じゃないし、寒いのに女子学生にスカート履かせるのもどうかと思うわ(最近は変わりつつあるみたいで良かったけど)。
日本の伝統衣装だってバリエーション豊富なんだから、日常生活に役立つものなんていくらでも見つかりそうなのにな。
残念なことに、今の日本人は「着物=堅苦しい正装」ってイメージしか持ってないんだよ。
いや、世界中にマックを建てて近代化しようって時に、着物とかヒラヒラした服にケチャップがついたら落とすの大変だろ?
現代社会の悲しい側面の一つだよな。地域ごとに特色があればいいのに、今じゃどこへ行っても同じ格好だ。
タイの場合は植民地化を避けるために適応したって聞いた。当時の西洋人と対等に見せることで、「文明化」という名目の侵略を回避する戦略だったらしい。日本も似たような考えだったんじゃないかな。
服だけじゃなくて、西洋に疎外感を与えないように社会全体を作り変えたんだよ。憧れじゃなくて、恐怖が原動力。当時の西洋は圧倒的で、その気になれば簡単に国を潰せたから。今「西洋化」と呼ばれてるものは、多くの国がとった生存戦略なんだ。もっと複雑だけど、本質はそんな感じ。
そもそもなんで西洋諸国まで洋服に切り替えたんだ?俺はまたチュニックが主流になってほしいわ。
ナイジェリアに帰った時に、みんなが民族衣装を着てるのを見るとマジで新鮮な気分になるよ。
今の日本人は、そこらの西洋人よりよっぽどオシャレだけどな。
「周りが認めることをしろ」って教育されて育つと、ああなるんだよ。ディスるわけじゃないけど、褒め方を間違えちゃいけない。ファッションは自己表現でもあるけど、同調圧力の現れでもあるからな。
過度な同調圧力の反動で、それを拒絶する奴らがエグい自己表現を生んだりもする。20〜30年前の日本のサブカルチャーとかマジでぶっ飛んでたろ。
でも最近はSNSのせいで個性が削られて、若者がまた右倣えになってる気がするわ。
日本のファッションは清潔感があってスマートだけど、多様性には欠けるよな。
それな。日本は同調圧力が強くて均一化されてるのに、芸術的な表現に関しては西洋のどこよりも輝いてる。俺がいつも言ってる持論そのままだわ。
「公認されたスタイル」のリストがあるか、それを拒む臆病な集団が増えてるか、どっちかだよ。まあ、どこのファッションも多かれ少なかれそんなもんだけどな。
面白いよな。俺もアメリカ人として日本の連中と同じようなファッションに行き着くことがあるけど、俺の場合は「文化的な規範をぶち壊す」っていう逆の立場からスタートしてるんだよ。
おう、カラフルで通気性のいい好きな服を着るより、黒いスーツと白シャツの津波の方がよっぽどスタイリッシュだよな。素晴らしい進化だわ(皮肉)。
昔、こういう文化の変化に抵抗はなかったのかな?日本だし。
軍部が西洋化を主導して中央集権化を進めたってことを理解しなきゃ。逆らった奴らもいたけど、『ラストサムライ』を見てみろよ。ネタバレすると全員死ぬぞ。
ネタバレおk。面白そう、サンクス!
昔の日本人は、暑い夏はふんどし一丁だったし、温泉帰りなんて裸で歩いて乾かしてたんだぜ。
西洋人がそれを嫌ったから、おべっか使いの日本政府は警察を送り込んで、街中で「不適切な格好」をしてる奴らをボコボコにしたんだ。
「文化の変化」なんて生易しいもんじゃない。残酷な植民地化だよ。自由な生活を貫こうとした人たちが必死に抵抗した結果なんだ。
そうそう。日本には長い伝統があったのに、西洋の顔色を伺って同性愛や女装・男装を犯罪扱いにしたしな。
日本で急速に近代化を進めた連中が、従わない奴らを皆殺しにして出来上がったのが大日本帝国だ。で、「オランダとか西洋の真似をすれば上手くいく」っていう思考回路が出来上がったんだよ。
インドとかでも同じことが押し付けられた。隷属を強いて文化を侵食する手段だよ。深いルーツと文化を持つ民衆をコントロールするのは難しいからな。
強制されたケースばかりじゃない。自分たちで「仲間入り」するために適応を選んだ政府もある。
そう、中央集権化と西洋化はセットなんだ。タイも同じだった。
極端な例だとベトナムもそう。あそこは西洋のスーツじゃなくて、当時のアジアの知的中心だった清の時代の中国服を取り入れて、今でも着てるしな。
「インドと同じ」ってのは違うだろ。日本人は侵略する側であって、植民地にされたことは一度もない。
日本の経験は、インドとは真逆だよ。
ペリーが来た時の資料を読むと、中国みたいに植民地化されるのを必死に避けようとしてたみたいだ。偉いさんたちがどう対応するか議論してて、中国の二の舞を恐れてた。だから急いで近代化して、留学生を送り込んで知識を吸収した。西洋化(服も含めて)は、自分たちを「対等」に見せるためのパフォーマンスだったんだよ。細かい話はキリがないから省くけど、まあ日本は加害者側だな。
いや、ペリーの艦隊が乗り込んできた時、彼らが食物連鎖の頂点の侵略者様だなんて、到底思えなかったけどな。
あいつらはまず自分たちの国を植民地化して、それから他所に手を出したんだ。
福沢諭吉みたいに西洋の優越性を信じ込んだ若きエリートたちが、自国民を野蛮人扱いした。当時の日本は今みたいに均一じゃなくて、一つの国っていうよりEUみたいな感じだったからな。
新しくできた国定の学校(元々学校はあったから、本当の意味での近代化じゃないけど)で、標準語を強制されて、できないと恥ずかしい札を下げさせられた。同じことが後に沖縄や韓国でも行われたんだ。
日本は押し付けられたわけじゃない。「文明開化」っていう運動があって、法律も含めて自分たちで西洋の価値観を取り入れたんだよ。
直接押し付けられたわけじゃないけど、あのアメリカの野郎共が江戸に強引に割り込んできた結果だろw
で、今じゃ外国人と子供に対して、いつどこで何を着るべきかっていうルールでいじめてるんだから世話ないよな。
ふんどし一丁で冬を越すのはキツそうだわ。
日本からこんにちは。
明治維新後の西洋化も大きいけど、関東大震災の影響もあるよ。洋服の方が動きやすくて避難にも適してるっていう利点が広まったからね。

